少女たち。いろんな場所に居る、時代も国籍も年齢も超え、現実や幻想世界の少女たちから私の心に届く素敵な姿や言葉たち。『クララの森・少女愛惜』の別館です。此方は児童文学を中心に、その宝物からの学びとしてのメモ箱です。
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    『ぼくはだあれ』 作:S・バルー・ラオ 訳詩:森本達雄
    ぼくはだあれ

    あなたがだんだん大きくなってゆくうちに
    ぼくはだんだん小さくなってゆきます。
    けれども、それはほんとうに苦しいことではありません。
    うれしいことなのです。

    (中略)

    ぼくはだれだかいえますか?
    ぼくは、「えんぴつ」です。

    作:S・バルー・ラオ 訳詩:森本達雄



    ★『少年少女世界文学全集』全50冊の中の最終の第50巻に収録されていた短詩です。私はこの講談社出版の50巻を母の形見として納戸の最上段に並べています。脚立にのっても取り出すのに一苦労だったのですが、全部読み返そうと思います。そして、気に入った、あるいは気になる作品を記しておこうと思います。幼い頃から欧州のお話が好きでしたので、東洋文学には疎いのです。この作家のS・バルー・ラオというお方のことも知りません(勉強不足で)。けれど、訳された森本達雄氏の説明文によると、「現代カンナダ語の詩人。あかるい童謡風な詩を多く書いている。「ぼくはだあれ」は、詩人自身が英訳して、日本の子どもたちに送ってくれたものである。」― と書かれています。

    他にインドの児童文学作家でラオというと、『1・2・3 インドのかずのえほん』の中のシリシュ・ラオくらいしか日本語訳では知りません。いったい、S・バルー・ラオはどのような作品が他にあるのか読んでみたいです。この二人のラオは親子なのでしょうか...と課題が残ったままなのですが、いつか新たな出会いを秘かに待っていたいと思います。

    JUGEMテーマ:児童文学
    | 23:37 | 童謡・わらべ唄・少年少女詩 | comments(0) | trackbacks(0) |
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      子ども時代というのは発明されたもので、それが発明されたときに子どもの文学が当然の結果として生まれた。
      評価:
      フィリップ・アリエス
      みすず書房
      ¥ 5,775
      (1981-01)

      子ども時代というのは発明されたもので、それが発明されたときに子どもの文学が当然の結果として生まれた。 

      ★定松正氏がこのように述べておられ、その引用元となるフィリップ・アリエスによる1960年の大書『<子ども>の誕生』を読むことにした。本当に素晴らしい大書にして労作である。初刊は1960年なので50年以上前の書であり、膨大な文章は決して安易に読めるものではない。賛否両論もあるようながら私にはとても大きな学びの書であり、このフィリップ・アリエスの労作は歴史学のみならず、児童文学にとっても関わりの深いもので唸りながら感読したものです。

      中世において、また近世のはじめには、そして下層階級ではそのあとながいあいだにわたって、子どもたちは遅い乳ばなれのあとすぐ(言いかえると、七歳頃)に、母親や乳母がなくともやっていけると考えられて直ちに大人たちとごちゃまぜにされた。彼らはそのまま成人の大共同体の中にまっすぐにはいっていき、年長の子も年少の子も成人たちにまじって仕事や遊びをやった。 フィリップ・アリエス『〈子供〉の誕生』より

      フィリップ・アリエス(PHILIPPE ARIES:1914年7月21日〜1984年2月8日)
       フィリップ・アリエスはフランスのブロワ出身の歴史家。殊に中世社会の家族、子供、死をテーマとして研究した人物。『〈子供〉の誕生』(1960年)では近代以降の子供観の形成を研究するなど、日常生活の底に流れる感情、生と死に関わる態度など、それまでの人々が目を向けようとしなかった領域に目を向け、歴史学の分野でないとされてきたテーマに積極的に取り組んで注目を浴びた。マルク・ブロック、リュシアン・フェーブルをはじめとするアナール学派の一員でもあった彼は、その研究においては、なかんずくメンタリティ(心性)の歴史に関心を抱いた。彼の数多くの著作の中には、ジョルジュ・デュビィとの共編になる大部の『私的生活の歴史』もある。アリエスは、1977年社会科学高等研究院の研究主任となり、1984年パリで亡くなった。

       アナール学派とは、社会学や心理学などの他の学問からの方法論を応用し、事件中心の歴史認識に対し、心性や感性の歴史、また歴史の深層構造の理解やマクロ的な把握を目指す。とりわけ、フェーヴルに始まる心性史という分野はアナール学派独自のものである。戦間期のフランスで歴史研究に大きな新しい流れを生み、第二次世界大戦後はフランス国外にも波及した。ただしドイツやイギリスの史学者は実証主義を否定するかのようなアナール学派には懐疑的であり、アナール学派の影響は南米やポーランドなどの歴史学会に対するものにとどまった。一方でアメリカは独自のやり方で社会科学の史学への導入を試みた。アメリカやイギリスで大いに発展した統計分析を基礎にした人口分析、社会史や経済史の研究においてフランスは大きな遅れをとることになる。さらにフランスの思想界におけるポストモダニズムの興隆でその論理的基盤も批判にさらされ現在はその影響力は縮小している。 引用:wikipediaより

      JUGEMテーマ:児童文学

      | 21:44 | 児童文学論・関連書 | comments(0) | trackbacks(0) |
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        子供たちにメッセージ☆被災地の皆さんへ 地震に負けないで!
        被災地の皆さんへ 地震に負けないで 児童文学の那須正幹さん

        子供たちにメッセージ

        苦しいときこそ顔を上げて。3人もみんなを応援してるよ−。ハチベエ、ハカセ、モーちゃんが活躍する人気シリーズ「ズッコケ三人組」の著者で、児童文学作家の那須正幹さん(68)。東日本大震災の被災地の子どもたちに、はげましのメッセージを送った。

         被害が広がっていく様子が刻々と伝えられ、本当に胸が痛みます。被災地で避難生活を強いられている君たちは、さぞ不安をかかえながら過ごしていると思う。

         両親を亡くしたり、行方が分からなくなってショックを受けている人もいるでしょう。そんな君たちに、何て伝えたらいいのだろう。

         ぼくは3歳の時、原爆を落とされた広島で避難生活を送りました。その後も、肺炎にかかったり、山で落石にあったり、何度も死にかけましたが、何とか生き延びてきた。

         何よりも、君たちが今、生きている、命があるということを、まず大切に思ってほしい。考えられない被害の中で、神様が助けてくれたことを、何か意味があることなんだと信じてほしい。

         お兄さんやお姉さんたちは、体が元気なら、お父さん、お母さんや弟、妹たちを助けてあげてほしい。

         余力のある人は、どんな小さなことでもいい。人からたのまれるのを待つのではなく、自らを奮い立たせ、必要とされるお手伝いをしてほしい。体を動かしていれば、こわさ、悲しみもきっといくらかやわらぐはずです。

         そして、一番大切なことを伝えます。

         大人はこんな場合に、ふさぎこんでしまうものです。そんなとき、いつでもどんなときでも、まわりを元気づけられるのは、君たち、子どもの笑顔です。

         今すぐは無理かもしれないけれど、苦しくても、明るさを忘れないでほしい。

         どうか地震なんかに負けないでほしい。(那須正幹氏談)
         2011.3.15 産経新聞ニュースより

        ★避難所で行方不明のご主人の安否が心配で俯いていた女性の姿。不安でいっぱいだっただろう。何日かしてご主人に再会できたその女性は、戻る家も無くなってしまったのでと、その避難所でボランティア活動をされているのだった。被災者なのに。あの俯き涙の表情は明るくなっていた。助かった、命があったことに感謝しているのだと思う。このような状況で冷静にかつ笑顔をも忘れない人々。次々と避難してくる人々におにぎりを作ったりしている女性たち(お母さんたち)の姿は逞しく美しいのでした。とんでもない苦境に置かれても笑顔を忘れない、その姿に勇気づけられるようでした。那須正幹さんの今日の新聞に載っていたメッセージは子どもたちへのもの。救出されおにぎりを食べる子どもたちの顔には笑みがあった。寒かっただろう!怖かっただろう!けれど、命があることの尊さを子どもたちは上手く言葉に出来なくても知っている。そして、いつも心に太陽があることも。頑張ってください!負けないで!

        JUGEMテーマ:社会の出来事


        | 13:26 | 児童文学からの学び | comments(0) | trackbacks(0) |
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          『ばらになった王子』 作:クレメンス・ブレンターノ 絵:リスベート・ツヴェルガー★あるいは『バラの花びら姫』 ジャンバティスタ・バジーレ作『ペンタメローネ』の改作童話
          評価:
          クレメンス・ブレンターノ
          冨山房
          ---
          (1983-04-01)

          ★『ばらになった王子』あるいは『バラの花びら姫』というクレメンス・ブレンターノ(Clemens Brentano:1778年9月9日〜1842年7月28日)の19世紀の作品。クレメンス・ブレンターノはドイツ・ロマン派後期の詩人であり童話作家でもある。『ばらになった王子』はリスベート・ツヴェルガー(Lisbeth Zwerger:1954年、オーストリア・ウィーン生まれ)が絵を担当して、絵本として発売されたもの。初刊は1978年で、日本では1983年に冨山房より池田香代子訳で発売されました。

          バラをこよなく愛し、美しく長い髪を大切にしているお姫様ロザリーナ。その妹をたいそう愛し可愛がっている優しき兄ロスミタール公爵。イムマーウントエーヴィッヒ公子を妹ロザリーナ公女に紹介する。けれど結婚を断ってしまう。イムマーウントエーヴィッヒ公子は魔法使いの伯母に相談する。ロザリーナ公女のために、バラに姿を変えた公子(ばらになった王子)の優しい気持ちに胸打たれる。バラの花びらを食べたロザリーナ公女は女の子を身籠る。その女の子はローゼンブレットヘン(バラの花びら)と名付けられる。ロザリーナはこのバラの花びら姫をたいそう可愛がっていたけれど、魔法使いの呪いにより、バラの花びら姫の頭に櫛がささって死んでしまう。ロザリーナはガラスの柩にバラの花びら姫を入れ、哀しみにくれた数年間を過ごす。死期の迫ったロザリーナは兄に、バラの花びら姫が入ったガラスの柩のある部屋の鍵を渡す。「絶対に開けないでください。」と・・・。

          『バラの花びら姫』では、ローゼンブレットヘンは美しい14歳の少女に箱ごと成長していた。魔法使いによって、このお姫様は長い年月の間、生きたまま眠らされていたのである。けれど、公爵が留守の折に公爵夫人(美しいが心の良くない夫人)はその部屋を開けてしまう。その生きた美しいお姫様の存在は夫人を憤らせた。酷い仕打ちをし長い髪も切られみすぼらしい姿の少女は奴隷用の仕事着を着せられていた。最後はローゼンブレットヘンは高貴な王子さまのお妃となり、持参金としてロスミタール公国全土を与えられた。イムマーウントエーヴィッヒのバラの木も再び花をつけ、バラが甘く香るある夜のこと、ローゼンブレットヘンが夫君と窓際に寄ると、母と腰元たちがバラの木を跳び、イムマーウントエーヴィッヒの姿も見えた。

          「お父様お母様!神の祝福がありますように!」とローゼンブレットヘンは大きな声で言った。すると窓の下の両親たちからも、大きな声が返ってきた。「ああ!いとしい子供たち!神の祝福がありますように!」と両親たちは空に消えてゆく。

          後に、南瓜のような揺り籠を作らせ、可愛い公子を天から授けられる。という「眠り姫」や「白雪姫」のグリム童話のようなメルヒェン。



          ★この『ばらになった王子』あるいは『バラの花びら姫』のお話は、イタリアの詩人であるジャンバティスタ・バジーレ(Giambattista Basile:1575年〜1632年)の『ペンタメローネ(五日物語)』という作品をクレメンス・ブレンターノが改作したものということです。その他にもブレンターノ童話の名作『ミルテの精』、『ヴィッツェンシュルツェルの話』、『のみの男爵』もこのバジーレの『ペンタメローネ』の中からの改作。ブレンターノの言葉遊びとユーモアは正しくファンタジー!突拍子もない事柄が楽しく軽やかに綴られてゆく。

          このバラになった王子の名はイムマーウントエーヴィッヒ公子。イムマーウントエーヴィッヒ「immer und ewig」とは「いついつまでも」という意味が託されています。

          『ばらになった王子』は、ドイツ語では「Das Marchen Von Rosenblattchen」、英語では「The Legend of Rosepetal」と題されています。『バラの花びら姫』版は1980年発行のメルヘン文庫のものです。現在は『ばらになった王子』のタイトルが通常のようですが、私は『バラの花びら姫』としてついつい浮かぶのです。

          JUGEMテーマ:童話
          | 15:22 | 童話・昔話・メルヒェン・ファンタジー | comments(0) | trackbacks(0) |
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            『むこうがわのあのこ』『かあさんをまつふゆ』 作:ジャクリーン ウッドソン 絵:E.B. ルイス
            評価:
            ジャクリーン ウッドソン
            光村教育図書
            ¥ 1,575
            (2010-12)

            評価:
            ジャクリーン ウッドソン
            光村教育図書
            ¥ 1,470
            (2009-12)

            あの子と わたしを へだてるもの ふたりの少女のあいだには、高い柵があった。でも、ふたりは やがて…… そのなつ、 さくの むこうがわに あるものは なにもかもが とおく みえた。「どうしてかな」と ママに きくと、「いつだって ずっと そうだったのよ」とママは いった。

            その夏、町をしきる柵がいつもより大きく見えた。柵の向こう側にあるものは何もかもが遠く見えた。ふたりの少女をへだてる高い柵。少女たちの友情は、やがて、その柵をこえ……。人種をこえた少女たちの交流を詩情豊かに描く。

            ジャクリーン・ウッドソン
            1963年、アメリカ、オハイオ州に生まれる。児童文学作家。2001年、『ミラクルズボーイズ』(理論社)で、コレッタ・スコット・キング賞を受賞。現在、ブルックリン在住。

            E.B. ルイス
            1956年、アメリカ、ペンシルヴァニア州に生まれる。幼少期に、芸術家である二人のおじから影響を受け、画家を志す。深みと美しさを兼ねそなえた写実的な画風で、数々の賞を受賞しており、これまでに手がけた児童書は30を超える。現在、ニュージャージー州在住。

            『むこうがわのあのこ』
            ★黒人の少女クローバーと白人の少女アニー。二人の少女を隔てている長い柵。「むこうがわのあのこ」はアニー。クローバーは長い柵(というのも人種が違うことゆえ)のむこうの少女を寂しそうに見つめている。クローバーはアニーに歩み寄ると、アニーはその柵の上に上り、二人は会話を始める。柵のむこうはだめでも上なら問題ないでしょっと考えるアニーが好き。二人はどちらも少女。同じ人間。肌の色の違いだけで一緒に遊べないなんて!でも、大国アメリカの歴史の中でこの人種問題はとても大きく重要なこと。現在もどの州でも平等ということでもない。



            『かあさんをまつふゆ』
            ★ジャクリーン・ウッドソンは『かあさんをまつふゆ』で2005年度コールデコット賞オナー賞を受賞されている。このお話にも黒人であるがゆえに悲しい思いをしている少女が居ます。エイダ・ルースという少女。第二次世界大戦時の設定であろうと想像できます。一切男性は居ない。戦地へお父さんは出征しているのでしょう。当時のアメリカ人でありながらも黒人である(がゆえの)人々は、お仕事も白人よりも苛酷な条件が当然のように黙して耐え働いていた。この少女エイダ・ルースのお母さんも生活のためにシカゴに出稼ぎにゆく。暫くお家に帰れないのです。その母親の帰りを待つ少女の姿と寂しい心の描写がE.B. ルイスの絵と共に、静かに痛切に響きます。少女エイダ・ルースには祖母が居て二人で留守を守っている。お母さんは忙しくなかなか娘に手紙も出せない毎日。帰りを待つ少女はいつも窓の外を眺めている。ようやく、お母さんからの便りが届き、その手紙を何度も何度も読む少女の姿、心に感動するのでした。素晴らしい作品です。

            JUGEMテーマ:児童文学


            | 03:02 | 外国の絵本・挿絵画家 | comments(0) | trackbacks(0) |
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              児童文学は文学である。それ以上でも以下でもない。
              「児童文学はまちがいなく文学である。それ以上でも以下でもない。・・・・・児童文学とは、小説や戯曲と同じような、一つの文学ジャンルであって、それ自身自律的に存在しているのである。」
              三木卓「児童文学―この輝かしい世界」(朝日新聞 昭和46年2月27日号)より引用

              ★「児童文学」と聞くと敬遠される本好きのお方も多い。好きな人が好きで良いと思うので自由に好きな作品を鑑賞し、其々の感想を抱けば良いけれど、ちょっと悲しいという本音。子供の頃に母が読み聞かせてくれた童話や絵本、読むように毎月届く伝記。歌ってくれた子守唄や童謡...この想い出は私には心の財産であり今も大切にしているつもりです。

              児童文学とは子供でも読めるという対象がある。けれど、実は読む年齢でとても奥深い世界だと知ってからというもの、深みにハマりまだまだ継続中。元来好きで読んでいたドイツ文学やフランス文学の古典小説や詩集、それらの作家が意外と童話も書いていたり。また、絵本には欠かせないイラスト。お話が彩られ作品と一体化する、その素晴らしさ!大人になってから知ってるつもりで読み返す折の不思議な感情が好きです。伊達に歳を重ねているのでもないのでしょう。見えないものが見えるような感動にワクワクするのです。作家であり児童文学作品も多く書かれている三木卓氏のお言葉なので説得力があります。児童文学はまちがいなく文学である。それ以上でもなく以下でもない。そんな児童文学たちは甘美な作品だけではなく、残酷でシュールだったり、ダークなメルヒェンも多い。そうした作品はロマン派の作家たち、綺麗な絵が好きなので古今東西の素晴らしい画家、イラストレーターの作品とも絆が深いのでそれらを鑑賞することが大好きです。

              JUGEMテーマ:児童文学


              | 11:13 | 児童文学からの学び | comments(0) | trackbacks(0) |
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                ランドセル復活万歳!
                ランドセル“復権”「6年生まで」8割超す
                「タイガーマスク」現象で児童養護施設などに届けられたランドセル。小学校高学年になると体に合わなくなったり、おしゃれ感覚から背負わなくなりがちだが、最近は卒業まで使う児童が増えている。仲間意識の強まりとともに、ランドセルは“カッコ悪い物”ではなくなっているようだ。(織田淳嗣) 2011.2.23 14:19 産経新聞ニュースより

                ★世界の惨事、政治のこと、物価上昇のニュースが毎日掲載される中、ほっとするニュースで心トキメキました。「ランドセル」が復権しているのはなんだか嬉しい。遠い昔、でも蘇る私の小学生時代の風景。ランドセルは基本的に女の子は赤、男の子は黒。時々、ピンクや青色のランドセルのお友達も居た。私の弟は扱いが乱暴で6年間の途中で2つ目のランドセルを買って貰っていた。私は最後まで1つのランドセルと一緒に6年間過ごした。そんな忘れていたことが思い出され嬉しくてしかたがありません。"カバン持ち"など、ジャンケンに弱い私はよく持つ担当になり、ヒイヒイ歩いていた。お友達が私のランドセルを持つのをとても嫌がっていた。重いから!変な性分で、毎日学校の机の中は空っぽにしておきたいので、置いて帰れば良いものまでいつも持ち帰っていた。辞書や資料集などは多くのクラスメイトは机の中。その上、余分なものもランドセルに入っていた。緊急用の電話代が入った小さなお財布やハンカチも予備が必ず。どうしてだったのかなあ...やはり、心配性の性格は子供の頃からだったらしい。

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                | 03:53 | 日記・独り言 | comments(0) | trackbacks(0) |
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                  『床下の小人たち』 作:メアリー・ノートン 絵:ダイアナ・スタンレー
                  ★私はどうしてだか分からないけれど、妖精や妖精の国に憧れ続けている。憧れという言葉とも違うかな...存在を信じているし出会ったことは無いけれど好きなのだ。妖精が登場するお話や映画に出会うと嬉しい。メアリー・ノートン(Mary Norton)は英国の児童文学作家であり、この『床下の小人たち』は代表作であり、続編もある(全部で5作品だと想う)。このお話は人間(床上の住人)から物を借りて生きている小人の一家の物語。児童文学を侮ってはいけない。大人になった私は子供の頃から絵本や漫画が好きで、読書という意識の無い頃からそれらの挿絵やお話に魅入り空想したりしていたものだ。成長と共に色々な興味から児童文学から離れていた時期があるけれど、ここ数年で一気に回帰しているように感じている。この作品は1952年に刊行されたもの。お話の中にどこかご自分を投影しているかのようにも想える。子供時代のメアリーはたいそう視力が弱く、生垣の植物や昆虫を間近で眺めては、その中で一緒に暮らす小人を想像していたそうだ。寄宿学校に入り眼鏡を与えられるけれど、その時期(1930年代)は大恐慌。不況で苦しむ人々が嘗て想像していた小人たちを呼び覚ますことになったとも。

                  ポッド、ホミリーの両親と少女アリエッティの一家。少女アリエッティは、父親のポッドの語ることに苛立ちを覚えながらも外の世界に興味を抱きながら成長していた。人間に見られた場合の危険を警告されたりもするけれど、お屋敷に泊まりにきた少年とお友達になりたくて、その友情が無害だと信じるアリエッティ。しかし、そのせいで人間たちに発見され、今までの生活は崩壊し命からがら逃げ出し、野原での新たな生活を始めなければならなくなる。ポッドの言葉とアリエッティの気持ちの間で色々なことを考えさせられる。

                  人間たちは、小人たちが死にそうになっても、見てるだけ。物見高そうに、押し合いへし合いして、見てるだけだ。わしが、死にかけているホミリーのひたいをさすっていようが、ホミリーが、死にかけているわしのひたいをさすっていようがな。

                  「みんなが互いのために、互いがみんなのために助けあう習わしをもつ借り暮らし」には信じられないことだが、人間は「互いに襲いあう・・・・・。ひとりずつのこともあれば、ときには、集団同士で襲うこともあるそうだ」


                  このように語る(4作目より)ポッドの人間不信は深まり共存してゆくことが難しくなってしまったことを示唆してる。人間の少年と仲良くしたいと想う少女の気持ちも、この父親の気持ちも、作者のメアリー・ノートンの想いなのだろう。小人は人間ではなく妖精でもあり、住み難いでしょうがどこかでひっそり暮らしているのだろう。時々、物が無くなったりすると、私は”妖精の仕業”と想うことにしている♪

                  ※上記のものは、『少女アリエッティ (メアリー・ノートンの『床下の小人たち』より)』として書いたものです。
                  2008.3.15.

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                  | 07:15 | 少年少女文学・児童文学作品 | comments(0) | trackbacks(0) |
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                    『陸にあがった人魚のはなし』作:ランダル・ジャレル 絵:モーリス・センダック★人間と暮らす人魚のお話


                    ★ランダル・ジャレル(Randall Jarrell:1914年5月6日~1965年10月14日)は、アメリカのナッシュビル出身の詩人、童話作家、小説家、文芸評論家...というお方。私はまだ少しの作品しか知らないけれど、やはり童話あるいは児童文学という流れの中で知ったお方なので、『陸にあがった人魚のはなし』(1965年)や『詩のすきなコウモリの話』(1964年)から読み出した。「人魚」には何か子どもの頃から魅了されている。なので、『陸にあがった人魚のはなし』のお話を少し。

                    『The Animal Family』というのが原題であることは読み終えるととても大きな意味を持つものに想えた。大まかなお話は、ひとりで丸太小屋で暮らす狩人が、ある冬の夕暮れに海辺の岩陰で人魚と出会う。狩人と人魚は一緒に陸の上で暮らし始める。そこに、小熊、山猫、人間の少年が彼らと共に暮らし始める。彼等の会話はリアリスティックでありながらも不思議な魔法的なものも感じる。挿絵のモーリス・センダックの絵がお話をさらに彩るもので素敵です。彼等の特質を変容させることもなく、妙な淡々としたテンポで彼等の家族としての強さに何か心を揺さぶられる。人魚が喋り、陸の上で人間と一緒に暮らすということはおとぎ話ではあるのだけれど、人間と動物が共存し合うことの尊さを感じる。また、人魚(マーメイド)は妖精でもあると私は想っている。

                    人魚は、自分は女性でもないし、狩人は男性でもない。また、自分は「動物」ではない、狩人と少年は「人間」ではないと考える。なぜなら、そのようなことは皆副次的な問題だから。それでも、人魚は「海」であり、狩人と少年は「陸」であるという決定的な違いが残る。なので、人魚は陸で暮らすことになった。

                    でも、陸の上ではちがうわ。嵐だって、陸の上では本当だわ。木の葉は赤くなるし、木の枝は冬じゅう裸だわ。ものごとがみんな変わるし、いつも変わっていくもの。わたしはここにいて、どこにも泳いでいかなくてもいいわ。ここを立ち去るとか忘れるとかすることもない。そう、陸はずうっといいわ!ずうっとすてきよ!

                    このランダル・ジャレルの描く究極の家族の姿が私には美しく響く。狩人と人魚は夫婦でもないし、動物たちは養子でもない。夫婦という形もなければ親と子という形でもない。けれど、狩人と人魚は小熊の親となる。性的なものもどこにも無く、血縁関係もなく、それでも「家族」と成り得る。人魚という存在自体が現実的なものではないのだけれど、それでも、私は何の違和感も無くこの不思議なファンタジー世界に魅了されながら読み終えた。そして、読後、こうして今も余韻を残している。多くの優れた物語はそうだろうけれど、狩人と人魚のロマンスのお話ではなく、『The Animal Family』という視点に幻想と現実世界を繋ぐものとしてとても興味深いものに想うのです。


                    JUGEMテーマ:児童文学


                    | 09:58 | 少年少女文学・児童文学作品 | comments(0) | trackbacks(0) |
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                      『子どもの国の作家たち・目次』

                      ★子どもも読める(年齢差はありますが)絵本や児童文学、童話や民話等を基本としています。個人的に好きな作家や作品のみ取り上げています。なので、☆をつけるブックレビューは☆5つのものばかりです。まだまだ古今東西、自由に大量に追記作業をのんびり続けてまいります。お気に入り作家は幾度も登場します。

                      海外絵本作家・児童文学作家
                      <あ>
                      アストリッド・リンドグレーン:ASTRID LINDGREN 「長くつ下のピッピ」
                      アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ:ANTOINE DE SAINT-EXUPERY
                      イーディス・ネズビット:EDITH NESBIT 「若草の祈り」
                      エーリッヒ・ケストナー:ERICH KASTNER 「点子ちゃんとアントン」
                      S・バルー・ラオ 「ぼくはだあれ」
                      オスカー・ワイルド:OSCAR WILDE 「王女の誕生日」

                      <か>
                      キャサリン・ストー:CATHERINE STORR 「マリアンヌの夢」
                      クリスティーナ・ロセッティ:CHRISTINA ROSSETTI 「童謡集 シング・ソング(SING-SONG)」
                      グリム兄弟:BRUDER GRIMM
                      クレメンス・ブレンターノ:CLEMENS BRENTANO

                      <さ>
                      ジーン・ウィリス:JEANNE WILLIS
                      ジェームズ・サーバー:JAMES THURBER
                      ジャクリーン ウッドソン:JACQUELINE WOODSON
                      シャルル・ペロー:CHARLES PERRAULT
                      ジュール・ルナール:JULES RENARD
                      シルヴィア・プラス:SYLVIA PLATH

                      <た>
                      チャールズ・ディケンズ:CHARLES DICKENS

                      <な>
                      ニーナ・ボーデン:NINA BAWDEN 「砦の町の秘密の反乱」

                      <は>
                      ハンス・クリスチャン・アンデルセン:HANS CHRISTIAN ANDERSEN
                      ビアトリクス・ポター:BEATRIX POTTER
                      ヴィットーリア・ファツキーニ:VITTORIA FACCHINI
                      ビネッテ・シュレーダー:BINETTE SCHROEDER
                      フランシス・ホジソン・バーネット:FRANCES HODGSON BURNETT 映画「小公子」セドリック少年(
                      リッキー・シュローダー)


                      <ま>
                      マンロー・リーフ:MUNRO LEAF
                      ミヒャエル・エンデ:MICHAEL ENDE
                      メアリー・ノートン:MARY NORTON 「床下の小人たち」

                      <や>

                      <ら>
                      ランダル・ジャレル:RANDALL JARRELL
                      ルーシー・モード・モンゴメリ:LUCY MAUD MONTGOMERY
                      ルーマー・ゴッデン:RUMER GODDEN 「人形の家」
                      ルイーザ・メイ・オルコット:LOUISA MAY ALCOTT
                      ルイス・キャロル:LEWIS CARROLL
                      レイモンド・ブリッグス:RAYMOND BRIGGS
                      ローラン・トポール:ROLAND TOPOR

                      <わ>

                      <英数>

                      外国の挿絵画家
                      <あ>
                      アーサー・ヒューズ:ARTHUR HUGHES
                      アーサー・ラッカム:ARTHUR RACKHAM
                      アンヌ・アンダーソン:ANNE ANDERSON
                      イダ・レントール・アウスウェイト:IDA RENTOUL OUTHWAITE
                      ウォルター・クレイン:WALTER CRANE
                      エドマンド・デュラック:EDMUND DULAC 「眠れる森の美女」

                      <か>
                      クェンティン・ブレイク:QUENTIN BLAKE

                      <さ>

                      <た>
                      ダイアナ・スタンレー:DIANA STANLEY
                      トニー・ロス:TONY ROSS

                      <な>

                      <は>
                      フェリックス・ヴァロトン:FELIX VALLOTTON
                      ポール・ギュスターヴ・ドレ:PAUL GUSTAVE DORE

                      <ま>
                      モーリス・センダック:MAURICE SENDAK 「陸にあがった人魚のはなし」
                      モーリス・メーテルリンク:MAURICE MAETERLINCK 「青い鳥」

                      <や>

                      <ら>
                      リスベート・ツヴェルガー:LISBETH ZWERGER 「ばらになった王子」
                      ロバート・ローソン:ROBERT LAWSON

                      <わ>

                      <英数>
                      E.B. ルイス:E.B.LEWIS


                      日本の絵本作家・児童文学
                      <あ>
                      稲垣足穂

                      <か>

                      <さ>

                      <た>

                      <な>
                      永田萌

                      <は>

                      <ま>

                      <や>
                      吉野源三郎

                      <ら>

                      <わ>


                      日本の挿絵画家
                      <あ>
                      東逸子 「赤毛のアン」
                      東逸子 「月光公園」
                      岩崎ちひろ:いわさきちひろ
                      宇野亜喜良

                      <か>

                      <さ>

                      <た>

                      <な>

                      <は>
                      林静一

                      <ま>
                      牧野鈴子

                      <や>

                      <ら>

                      <わ>



                      JUGEMテーマ:児童文学


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